稲田 瑞規(いなだ みずき)

1992年3月23日、父・泰雄の考案で瑞規と命名される。母・直子は出産後あまりにもお腹が空いていたので、へその緒を繋げたまま自宅へ帰り、自然に取れるのを待ったためか、瑞規のへそは今も底の浅いおちょこみたいな凹み方をしている。京都府南部の久御山町にある小さな集落のなかの小さなお寺、400年の歴史を持つ称名寺の次男坊として生まれ、4歳上の兄・誠亮や、祖父母に甘やかされる日々。5歳と11ヶ月になるまで母親の母乳を吸いつづけるなど頑固を極めていたが、ある日ラブラドールレトリバーのアンディが家にやってきたことで、生まれて初めて優しさらしきものを宿しはじめる。兄は早々にお寺を継がない宣言をしていて、母乳を吸いすぎたため自我の発達が遅れた瑞規は、「あんたの方が向いてるわ」などと両親に乗せられてるうちに、称名寺の跡継ぎとなることになっていた。吉本新喜劇の島木譲二に憧れていたため、卒業文集には「将来の夢は立派でおもしろいお坊さん」と書く。

生粋のいじられキャラとして、ヤンキーにもオタクにも分け隔てなく遊ばれつづけ、卓球部、軽音楽部と健やかに文化系の道を辿り、一浪の末に同志社大学法学部に入学。ようやく自我が芽生えはじめ、大学で大好きなロボットアニメの研究会を設立して、アニメの脚本家を志し、創作をはじめる。仏道修行を満行後、とにかく楽しいことがしたいからと、友人とともに稲田家および称名寺の檀家が総出演したミュージカル映画『DOPE寺』を制作したことで、注目されはじめる。同時期に広告と編集の会社「株式会社インフォバーン」に新卒入社し、趣味でブログやライター活動をしながら東京の地を転げ回る。その後独立し、自分が影響を受けた『フリースタイルな僧侶たち』の編集長を5年間務め、著書の刊行、開宗850年の「法然フォーラム」では宗派の僧侶代表として登壇した。

現在は実家である称名寺と、兼務をしている大阪府能勢町にある西方寺の副住職をしながら、編集者・作家として活動中。母は瑞規のことを「役には立ちませんが無害です」と説明し、妻の奈美は「よくくじけているが、一度も挫折しない人」と説明している。

岸田 奈美(きしだ なみ)

1991年7月25日の大阪は天神祭。病院では陣痛真っ最中の母・ひろみが、鮎の塩焼きとちらし寿司を出され、痛みでワーワー言いながら一生懸命食べ続けたおかげで、無事に生まれる。母の第一声は「もう何もいりません、神さまありがとう」だったらしいが、その四年後、弟・良太がシレッと生まれる。今では自慢の弟なので、神さま、約束を忘れてくれてありがとう。

生まれて初めて話した二語文は「奈美ちゃん、あのね」で、以降、それが口ぐせになる。話したいことが尽きない毎日。話しすぎてしまうので、友だちと気まずい小学校。7歳の時、父・浩二がiMac G3を家にもたらし、世界が一変する。インターネットの向こうにいる人々と文字や絵で会話ができることが嬉しくて、人差し指二本によるカマキリのような高速タイピングを会得。代わりに電話料金が蒼天を突き、浩二からは怒られるが、本当にありがたい贈り物だった。

浩二が亡くなったり、ひろみが入院したり、家族におおきな変化が訪れたのち、関西学院大学人間福祉学部に進学。勉強はなにやってもあかんかったのに、クセの強い整骨院の先生に教わり、受験を最後までやりきったことが巨大な自信に。なんでもやれる、なんでもやりたい、という気持ちだけで、大学一年生の春には株式会社ミライロに入社。ユニバーサルデザインのことを、なんでもやった。ひろみも雇った。七転八倒したとて、回転しながら、走り抜ける日々。ちょっと文章も書けるようになる。

27歳の時、落ち込んで休職中に書きはじめたブログが、たくさんの人に読まれる。編集者に「あなたの作品が人を笑わせられるのは、たくさん傷ついてきたから」と言われ、びっくりして、傷ついたことが才能になるならと、作家として独立。翌年、初著書「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」発売。直後、夫・瑞規と出会う。

31歳の時、ふたりで京都に引っ越し。ABCテレビ「newsおかえり」のコメンテーターや、浩二の母校・関西大学の客員教授になる。入籍して落ち着いたのもつかの間、謎の漏水に追われ、いまは西宮で暮らす。

瑞規と奈美のあゆみ

2020年5月3日
コロナ禍で外出ができない時期に、共通の友人・佐伯ポインティくんと森真梨乃さんが、オンライン飲み会を開いてくれる。四人でパソコンを繋ぎながら、雑な大喜利大会などをして楽しむ。

2020年6月15日
奈美が関西出張のついでに、瑞規の実家のお寺へ遊びに行く。坐禅などするのだろうかと思いきや、小学校の時に瑞規が作ったドラえもんの被り物などを披露されたり、肉汁たぷたぷのハンバーグを食べたりする。

2020年7月1日
瑞規が上京。恋も仕事も充実したアーバンライフを夢見て、超大型のシェアハウスに入居するも、怪しいビジネスとトラブルまみれの怪しい住民たちに気圧され、早々に退去せざるをえなくなる。

2020年7月10日
東京都品川区で「盗めるアート展」という催しが開かれるので、前述の四人で泥棒の服装までそろえ、ウキウキで向かうも、会場は制御不能なほど大混雑しており、何も盗めずに退散。そのあと反省会でご飯を食べながら、瑞規が住む家を失った悲劇を打ち明ける。

2020年7月11日
奈美の自宅の一角を、瑞規が間借りする。悠々自適な一人暮らしを失うことを渋る奈美へ、とっさに瑞規が必死で語りかけた「ぼくは僧侶ですから、雨をしのぐ屋根や、その日の食べものをわけてくれることはお布施にあたりますので、どうか助けてください」という理屈が、妙に強い説得力を放つ。

2021年2月6日
奈美の母・ひろみが急病で長期入院したことをきっかけに、それぞれの実家へ戻る。奈美が臨時の家長としてめくるめく奮闘をして(のちに「もうあかんわ日記」として書籍化)ギリギリの生活を、瑞規があらゆる面から影で支える。

2021年3月13日
知人が飼えなくなって岸田家が預かっていた犬・くうちゃんが、稲田家にあたたかく迎えられる。岸田家では居心地悪そうにしていたくうちゃんは、広いお寺を走りまわり、見違えたように晴れやかな表情となる。

2021年5月12日
岸田家の生活が落ち着いたことで、晴れて奈美と瑞規がふたり暮らしをはじめる。コロナ禍で観光客が戻っていないのを良いことに、京都が誇る観光地のド真ん中に住んでみる。

2021年6月30日
奈美の弟・良太が、京都へ泊まりにくる。コンビニの前で瑞規がうれしそうに「良太くんがおごってくれた!」とジュースを飲み、その隣で誇らしげに立っている良太を見た奈美は、なんだかよくわからない嬉しさで、胸がいっぱいになる。

2023年5月21日
家族が集まった夜、久御山の町役場に婚姻届を出しにいく。到着するなり、はりきって走り出した瑞規が、入口の階段につまずいて転倒し、血だらけになる。夜間窓口のおじいさんが唖然としつつ、受理してくれた。

2023年12月17日
京都の自宅の天井から、とつぜん汚水が豪雨のように振りはじめ、天井がはがれ落ちる。他にも部屋がたくさんあるマンションなのに、被害はわたしたちの部屋だけで、しかも一週間経っても原因がわからない。テレビで報道もされる事態に。わけもわからず、家財の多くを失う。

2023年12月27日
心身ともボロボロになりつつ、新居を探し続ける。漏水の一件で人間不信になっていたふたりは、内見したマンションの管理人さん(北大路欣也似)の「お気をつけてえっ!」という優しき大声に胸を打たれ、兵庫県の西宮へ引っ越す。

2024年6月26日
岸田家の実家を手放す。なかなか片づけられないまま、ホコリが積もっていた部屋の整理を、瑞規が手伝う。岸田家が言葉にできなかった思い出を、喜びと悲しみこもごも共有できたことに、瑞規は深く感動する。

2025年3月9日
瑞規の実家のお寺で結婚式を挙げる。瑞規家は一家総出で仏前式や招待の準備をし、奈美家はほとんど会うことができていない親族たちを招集しながら良太の一張羅を作るなど、家族がそれぞれに駆け回って力をあわせ、善き日を迎えられた。

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